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国際貢献

中国四川大地震国際緊急援助隊参加報告

【はじめに】

 去る5月12日、日本時間午後3時28分、中国四川省においてマグニチュード8.0の大地震が発生しました。阪神淡路大震災を遙かに上回る規模の地震であり、死者・行方不明者は合わせると6月初め現在で9万人近くにまでおよんでいます。死者の数だけでも阪神淡路大震災の10倍を上回るわけですから、想像を絶する数字です。この未曾有の大災害に対して、中華人民共和国政府は建国後初めて外国からの救助チームを受け入れました。そして、世界で最初に被災地に入った外国チームは、紛れもないわれわれ日本の国際緊急援助隊救助チームだったのです。この度、私はこの国際緊急援助隊救助チームに帯同する医師として現地に赴きました。残念ながら、生存者の救出には至りませんでしたが、私にとっては貴重な経験であり、皆様にご報告したいと思います。

1月2日、3日  ホテルに待機でした。資機材の整備とミーティングに時間を費やしました。私たちの持ってきている資機材は人命救助用であり、遺体の発見には無力です。しかし、日本人の同胞の被害者すら多くが行方不明のままでした。 


1月4日  活動再開です。私は、団長と共にわれわれ救助チームより一日遅れてタイにやってきた緊急援助隊医療チームの活躍や被災地の復興状況の視察に出かけました。医療チームは避難所に建てたテントと地元の小学校の2カ所に診療所を開いて、精力的に活動中でした。羨ましかったのは、医療班の宿泊していたホテルがきれいなリゾートホテルだったことです。しかし、救助チームが泥だらけになって帰って行くには立派すぎてかえって居心地が悪くなったかもしれません。それから、驚いたのはタイの復興の速さです。初日に行った漁村では瓦礫がかなり撤去されていました。

1月5日以降  カオラック周辺の捜索活動でした。そして、この日が活動の最終日となりました。1月6日はバンコクへ向かい、7日の夜にバンコクを出て8日朝に成田到着です。最後の方は、尻つぼみの活動でしたが、救助チームというものは元来そういうものなのでしょう。発災から72時間のゴールデンタイムをほとんど寝ないで活動し、あとは惰性で続ける感じです。今回は特に日本人の被災者があまりに多く、後半は帰るに帰れない状況で活動を続けたのでした。


最後に  今回、緊急援助隊に参加させていただく機会を得られたことを本当に光栄に思っています。この派遣で学んだことは私にとって、計り知れないほど大きなものです。そして、御協力いただいた救急科の皆さんには心から感謝いたします。どうも有り難うございました。


4月9日 今回、津波災害のためにタイに派遣された後、嬉しいことがいろいろありました。新聞に載せて頂いたり、外務大臣や消防庁長官から感謝状をいただいたり、小泉総理主催の桜を見る会(於:新宿御苑)に招待されたり・・・。ちょっと、いいことがありすぎです。自分としてはなんの見返りも期待せず、ただ、「行って何か役に立ちたい」と思っていただけなのですが、こんなにご褒美をいただくと、「また行きたい!」って思ってしまいます。災害を期待してはいないですが、次に行くときはもっと活躍できるよう日々怠らないようにしなければなりません。最後の写真は4月9日に開かれた小泉総理主催の桜を見る会での私です。この日は、日頃の忙しさを忘れ、妻と二人で新宿御苑まで行きました。ちょっといい気分でしたよ。皆さんも、ぜひ、緊急援助隊に登録し、いざというときに参加できるようにしておきませんか。




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