2004年12月26日 |
日本時間午前10時、スマトラ沖巨大地震発生。私がこのニュースを知ったのはその日の夕方、日曜の夜なので家族と食事に出かけている時でした。串カツ屋のマスターが、「えらいこと起こってますなぁ。」と教えてくれたのです。その時、「もしかしたら、これに派遣されるかも。」なんて冗談を言っていたのですが、まさか本当に行けるとは思ってもみませんでした。
|
12月27日 |
私は神戸に行っていました。阪神淡路大震災の10周年にあわせて1月18日から神戸で行われる「国連防災世界会議」にJICAが催す国際緊急援助隊デモンストレーションに参加するための打ち合わせのためです。この日、すでに津波災害に対するスリランカへの緊急援助隊医療班JMTDRが日本を出発していました。私は今回一緒に行かせていただくことになる国立災害医療センターの井上先生やJICAの職員の方たちと話しながら、救助チームは派遣されないだろうと予想していました。なぜなら、「JICA職員が足りない状態だったから」と「既に2日が経過していたから」です。
|
12月28日 |
派遣決定の日です。タイからの派遣要請に日本が応えて医療班と救助班を出すことになりました。もう一つ、モルディブにも医療班が派遣されることになりました。JICAは大忙しです。後で聞いた話ですが、今回のタイの派遣では人手が足りなくて、あちこちから緊急援助隊と以前関わっていたJICA職員らを駆り出して即席でチーム編成したそうです。そして、私のところにタイの救助チームへの派遣要請が来たのは、もう夜も遅い9時頃でした。このとき、私にとってラッキーだったのが、当直を除く救急科のほぼ全員が「松山先生送別会」に参加していたことです。酔った勢いもあって全員に「畑、頑張れ! 後はまかしとけ!」と言ってもらうことができました。緊急援助隊に参加するために最も重要な条件は普段一緒に仕事している仲間の協力体制なのです。私のわがままを笑って許してくれた皆さん、どうも有り難う! 特に当直を交代してくれた則本先生と伊藤先生には感謝しています。
さて、知らせを聞いた私は大急ぎで大学の研究室へ帰りました。自分のパソコンを開いて、成田への行き方を検索するためです。翌朝、8時50分成田集合はかなり厳しいものがありました。まして年末です。時間的に、新幹線は不可能とわかりました。夜中に車で名古屋まで行ってから新幹線に乗るという方法も考えましたが、かなりきついです。頼みは飛行機ですが・・・ありました!
関空6:30発羽田行きです。羽田からタクシーで行けば何とかなるとわかりました。残りは3席のみ、ぎりぎりの滑り込みセーフでした。やっとの事で飛行機の予約を取り、家に帰ったのは夜中の11時半、これから出発の支度です。パスポートは? お金は? 下着は? こんな時に限って妻は鹿児島に・・・。2時頃に風呂に入って、2時半くらいには布団にもぐりこみましたが、興奮して眠れません。自分でもアドレナリンが出まくっているがよく分かりました。結局、眠れたのは午前3時半を過ぎてからでした。
|
12月29日 |
目覚ましが鳴ったのは午前4時半です。1時間しか寝ていないのですが、目は爛々としていました。異様な感じです。5時には車で家を出て、関空へ向かいました。途中も全く眠気を感じません。6時過ぎにちゃんと関空へ着くことが出来ました。車は乗り捨てです。正月休みの間に、妻に取りに来てもらうことにしました。飛行機に乗ってから、成田に着くまでもいろいろ大変だったのですが、詳しく書くと長くなるので割愛しましょう。
私が成田の集合場所(VIPルームです!)に着いたのは、集合時間から遅れること20分、9時10分過ぎでした。もう結団式は終了し、あたりは騒然としていました。政府関係者、マスコミ、JICA職員、そして救助隊員と私たち救助チーム医療班などなど、様々です。私はわけもわからず、その場で立ちすくんでいるような感じでした。何をしたらいいかまず分からないし、医療資機材はすでに積み込まれているようでしたし・・・。井上先生と看護師さん2人以外はほとんど知らない人ばかりだし・・・。「なんで俺ここにいるの???」って感じでしょうか?
それでもだんだん気持ちは盛り上がってきて、マスコミのテレビカメラと大勢の人々の拍手の中、整列してゲートをくぐって入っていくときはすごく高揚した気分になっていました。その後、大量の救助資機材積み込みのため、飛行機の離陸が1時間遅れて、実際に日本を発ったのは12時前でした。
バンコクに着くまで寝ようと思ったのですが、まだ、アドレナリンは私を許してくれませんでした。体中でアドレナリンを産生しているんじゃないかって思うくらいです。仕方がないので、映画を見ることにしました。これがまたなんと国際救助隊の話「サンダーバード」なんです。しまったと思ったのですが、見てしまいました。私のような40歳代前半のおじさんにとってサンダーバードは永遠の憧れなのです。「しかし、こんな時にサンダーバードなんて・・・。全然眠れへんやないかぁ。」
バンコクで乗り継いでプーケットのホテルに到着したのは29日の夜11時過ぎでした。ホテルは普通のちゃんとしたホテルです。後で聞いたら連れ込みホテルらしいとのことでしたけど・・・。着いてすぐにミーティングを行い、明日からの活動準備を開始しました。私たちは医療資機材の確認です。どこに何が入っているかを確認するだけでも結構大変な作業です。その作業を終えて1時半頃には眠れました。部屋にあった缶ビールを一本飲んだのでこのときは大丈夫。でも、次の日の朝は午前3時半集合、4時出発です!! 嘘でしょう?? あと1時間半しか眠れない! |